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2016年 改めて「やお九州」の想い

2016年 改めて「やお九州」の想い

 

成人された皆さん、おめでとうございます!

私は30歳になり、

中学校のタイムカプセルを開ける歳になったとしみじみと感じております。

私の成人式は10年前、スマホがまだ無い時代でした。

ガラケーでメールでやりとりっていうのが当時の主流。

2026年の成人式はどんなテクノロジーが登場しているのか、楽しみでもありますね^ ^

 

 

 

さて、話は変わりますが、

1月8日に関東版の読売新聞さんに掲載いただきました!

取材自体は昨年11月に行われたものなのですが、私の写真が採用されびっくり!

読売新聞

左下PCを持っているのが私です。

日南の長津みかん園さんに撮影をお願いしました。

長津みかん園のみかんは、東京のお店でも大人気でした^ ^

 

年初で、せっかく新聞に取り上げられたということもあり、

記者の方にも話をした「やお九州の想い」を改めて書き綴ってみたいと思います。

 

故郷に想いを募らせた2010年〜2011年

新卒で入社した車部品会社を辞め、

福岡でEC(インターネット通販)の手伝いをしていた頃、

宮崎で大事件が起こります。

口蹄疫です。

早い段階から国会の動画がUPされましたが、当時はスマホの普及率がまだまだの時代。

FacebookJapanが3月にできたばっかりでしたから、SNSもmixiくらいでした。

当時の与党の後手後手対応にイライラを募らせたのを今でも覚えています。

ゴールデンウイークをはさみ、

被害がさらに広がり、ニュースや新聞がようやく取り上げ始めましたよね。

これで、被害は終わらずその後「風評被害」が起こりました。

追い討ちをかけるように、鳥インフルエンザも流行し、

2011年の1月には新燃岳が噴火し、畑にも灰が積もり野菜も被害受けた時期です。

 

何かできないかといろいろ考えましたが、

mixiでアップされた動画をシェアしたり、食べて応援するくらいしかできませんでした。

故郷のためにと、

福岡の「酎厨や プーラビーダ」の誠さんや、

新宿の「みやこんじょ」のひろさんが頑張っている姿をみて、

かっこいいなと感じていました。

故郷のために動けるような人になりたいという想いを持つようになりました。

 

3.11

当時、恵比寿のITベンチャーで働いていたので、3.11は私も被災しました。

東北の被害は、ご存知の通りですが、

東京は、電車が止まり、帰宅難民が出ました。

我が家は、上の階の水道管がおかしくなり、その後水漏れが起こりました。

一番ショックだったのが、お店から物が無くなったことです。

食べ物、飲み物、日用品、ホッカイロなどコンビニから、スーパーから無くなりました。

物流の大切さを身を持って経験しました。

私は我慢できましたが、小さい子ども達を優先できない現社会に疑問も持ちました。

 

友人達にようやく連絡が取り、会って無事を確認して、

歩いて家に帰りました。あの日の飲食店の皆さんには元気付けられました。

朝まで徒歩で歩く人たちに暖かい飲み物や、

電気の明るさは心強かったです。

その夜、

東北の情報(地震、津波、原発)をテレビを付け、PCを開き、

朝まで情報を集めていました。不安でいっぱいの夜でした。

 

起業

話は1日前に戻ります。

3.10に大学の後輩が東京に来ていました。

私は九州工業大学という大学を卒業したのですが、後輩達と一緒に新しいサービスを作り、

起業したいと思っていました。

スマホ、SNSが少しずつ普及し始めたころでしたので、

GPS機能の向上、SNSを利用したサービスを作ろうと考えて動いていました。

3.10の夜、プレゼン資料などを確認し、よし、これでいこう!となって、

翌日の昼前に後輩達は福岡へ帰って行きました。

小説よりも奇なりとは言いますが、ここまでかと今では思うような日程でした。

 

故郷のために、日本のために

起業したい!という熱はまだありましたが、今必要なのか悩みました。

そして、後輩に、「今じゃない」と謝り、一旦白紙に戻しました。

それくらい、世の中が変わった3.11でした。

 

変わったのは、世の中だけではなく、私の考えも変えました。

一発当てたい!という想いが先行していた起業。

一瞬で故郷を奪った津波を目の当たりにして、

いつかやりたいと思っていた故郷のためにという想いを今、実現したいと思いました。

 

この動画も「九州」を意識させるキッカケになりました。

九州新幹線の動画です。

これを見て、なぜか涙したのを覚えています。

 

口蹄疫、鳥インフルエンザ、新燃岳からの復興をしようとしていた故郷。

原発の影響もありますが、

関東で九州産の食材のニーズも高まっているという状況でした。

(特に、IT業界は若い人が多いので、小さな子どもを持つ家庭が多かったです)

このマッチングをネットを使ってできないかと考え始めました。

これが、やお九州の起業のスタートになります。

 

復興しようとしている故郷のために。

安心安全でおいしい食べ物で子ども達が元気に育てば、日本も元気になる。

欲しいものを欲しがっている方に届けたい。

これを実現できる会社を作ろうと思ったのがキッカケです。

 

8.19起業 10.3サービス開始

 

当時も、勢いがすごかった「アラタナ」の濱渦さん、佐藤さんに会い、

すぐにやお九州のサイトを作ってもらいました。

すでに宮崎県の五ヶ瀬で「あらたな村」というサービスも始められており、

幼稚園の同級生だった代表の小野さんにはいろいろ教えてもらいました。

 

一番難しかったのは野菜集めでした。

祖父のお米つくりや養蜂は小さい頃から手伝ってはいましたが、

がっつり農業と絡むことはこれまでありませんでした。

写真 2016-01-12 6 18 33

しかも、

朝は朝マック、

昼はコンビニ弁当、インスタント食品のヘビーローテーション

夜は外食、弁当だった東京での食生活では、

野菜を食べる機会がありませんでした。

おいしい野菜とは何か?という原点からのスタートでした。

宮崎に戻り、おいしいと紹介される野菜を食べまくりました。

結果15kg太りました。笑

写真 2016-01-12 6 17 53

85kgで顔パンパンでした。

 

今は、70kgに戻りましたが、この時期に体のデトックスができた感じがします。

東京の頃は、夜更かしすると体力消耗も、肌荒れもひどかったんですが、

起業して夜更かししても体力も肌も平気になりました。

 

生産者もコネもありませんでした。

一緒に起業した内山が頑張り、協力していただける生産者を集めてくれました。

image

いろいろな方の協力があり、なんとか2011年10月にスタート切れたなと思います。

少し長くなりましたが、やお九州のキッカケをつらつらと書かせていただきました。

次回は、

下記のタイトルで「やお九州」をどういう想いで続けているか書きたいと思います。

 

少なくて申し訳ないm(_ _)m

腐らない本や服をやればよかった

無農薬、有機栽培はなぜいいの?

起業当初から変わってきた想い

これからのやお九州

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服部学

服部学

やお九州の代表。宮崎県出身。 教員免許も持っており、次世代のために奮闘中。
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